チェンマイアジア選手権取材行

ピン川のコムロイとばし ----アジア選手権取材行4

PC050055リバーサイドは非常に洗練されたレストランである。欧米人が目立つがタイ人もいる。日本人は意外にすくないような気がしたが、なにぶん広くて暗い店内でよくわからない。洗練されている、といってもそこは南国であり、天井にはなんとトカゲがいた!店内はかなりのにぎわいなのだが低い天井を平気でゆっくりと移動し、時にたたずんでいる。天井付近にくる小昆虫でもあさっているのだろうか?客たちは知ってか知らずかみんな平気である。
ノンアルコールとつかれも手伝って、今ひとつもりあがりにかけたディナーもおわり、ホテルまで帰ることになったが、来た道をそのままもどるのもつまらないので、さらに先の橋まですすみ、ピン川をわたって名物のナイトバサールを歩いて帰ろうということになる。

PC050057「リバーサイド」をでて少し歩くと、路地のむこうに歩行者専用の橋がみえたのでそこを使うことにする。
 橋は散策するひとがちらほら。と、橋の半ばに若い男女の集団が何事か作業をしている。真っ白い布袋のようなものをひろげているのだ。われわれもいそいでいるわけでもないので、暇人よろしくその様子を眺めることにする。
 彼ら彼女らは男女半々で8人くらいいただろうか。その袋をひろげおわると、今度は火を炊きだした。好奇心旺盛で我々の仲間で唯一人英語の堪能なA氏がたまらず彼らに何事か取材、どうもそのふくろに熱風を吹き込み空高く飛ばすということをこころみているらしい、彼らはチェンマイの大学生らしい、という2点がわかった。
 これがあの有名なコムロイ飛ばしか、と合点がいった、というのは嘘で、これは帰国してから知ったことで、その時はなにを酔狂な、と思っただけであった。その帰国後の調査?によるとそのコムロイとばしは当局より空港近辺(15キロ以内だったとおもう)自粛命令(禁止ではない)がでてたとのことでおどろいた。高くまいあがったコムロイが飛行機のエンジンにまきこまれて墜落の危険があるとのことでなんともおそろしい話なのである。実際そういうこと(飛行機事故)があったかどうかはさだかでないが、コムロイが地上に火がついたままおちて民家が全焼とか、ある小型機が飛行中に遭遇したコムロイは一軒家ほどの大きさがあって、空中で、よけるのに難儀した、なんて話がネット上にある。この地点からチェンマイ国際空港まではせいぜい5キロぐらい...........................
PC050060 結果的に彼らはコムロイ飛ばしになれていないのか、それとも非常に難しいものなのか、さだかではないが、コムロイは高く舞い上がることなく、川におち、流れていった。それでも彼らはそれほど落胆するでもなし、ひとしきりもりあがって、我々と一緒に写真とったりして、そのままわかれた。

 ナイトバザールはひとひとひとの大混雑。しかも白人がめちゃくちゃにおおい。あとでタイ人の大学生にきいたところによると、地元の人はまず行かないという観光客むけの市とのことで、それなりに楽しいものの、ちょっとつまらない。ただわれわれも非常につかれていたので楽しむ余裕がなかったのもたしか。A氏もつかれているはずだが、ナイトバザール半ばの雑貨店で格安のミネラルウォーターをみつけ、一ダースを買い込む。それはよかったが、ホテルまでの長い混雑した道を重い水とともに進むことになった。
 ホテルにもどると、よせばいいのにチェンマイに先乗りしていた某メーカーのB氏の部屋で2次会。ホテル内はアルコールOKといことでようやくビールにありつく。そのまま深夜まで。まあいいか。まだ大会ははじまってもいない。。。。

チェンマイ取材行その3

食事のためにすぐに外出。中華にしようか、タイ料理にしようか、いろいろまよったが、ピン川沿いにあるメジャーなレストランを選択。地図でみると歩いてもたいしたことがなさそうなので歩くことに。ホテルをでるとすぐにタクシーが客引きによってくる、がバンコクほどしつこくはない。無視してひたすら歩く、歩く、が歩きにくいことこのうえない。台北もソウルもプサンも聞慶も歩きにくかったが、その比ではない。バンコクもそうだった。近年、バリア−フリーということがいわれるが、その思想からもっとも遠い。
DSCF0372一応、歩道はあったりする。しかしその歩道の上に電話ボックスが、どん、とおいてある。歩道は完全にふさがっていて、車道にでるしかない。車道も狭く、運転も乱暴、非常に危険、ああアジアにきたんだなあ、と嬉しくなる、と思ったら足の甲の上を車が通っていった。油断もすきもない。
 途中、食べ物の屋台もおおい。空腹には堪えられないいい匂いのなかをひたすら歩く。日本をでるまえにいやになるくらいみたチェンマイ市内図を頭に描きながら、ひたすら歩く。日本でみた地図はどういうわけか縮尺がばらばらでこまったが、どうも一番遠パターンが正解だったようで、やっとのことでピン川にかかるナワラート橋にでる。ここから目指すレストラン「リバーサイド」まではすぐだ。

DSCF0374チェンマイのガイドブックならどれでものっているレストランリバーサイドは混んでいた。川沿いに張り出したテラス席は満席、しばらく待ちになるという。屋内ならスグにOKというので、他へいく気力も体力もないのでそれで手をうつ。店内はタイ風というよりはなぜかウエスタン風。エキゾチックというよりはただの無国籍風。お客も雑多、さまざまな人種があふれている。メニューもイタリアンがメインにおかれている。そこには目もくれずタイ料理を探してなんとかオーダー。アルコールは御法度?なのでミネラルウォーターも。タイでのチャーハンのうまさは定評があるが、ここでも抜群。トムヤンクンにも6年振りの再会。やはりパクチーは苦手である。全体として、6年前のバンコクのような強烈さがない。ここだけかとおもったが滞在中ずうっとそうだった。私だけでなくやはり6年前アジア五輪のバンコク組のYさんやほかの人もそういっていた。ほっとしたというか、がっかりしたというか、一応こころしてきただけに、若干ものたりなく感じたのはたしかである。

アジア選手権取材行その2

DSCF0371前回のつづき)窓際といっても翼のそばで視界はせまい。日本国内にいるときは晴れわたっていてよく地上の様子がうかがえてたのしかったが、やがて雲のうえに。雲海だからダメというわけでなく、1999年に世界選手権にいったときもずうっと雲のうえだったが、まるで天上界をおもわせるこの世ならね美しさにいつまでもみほれていたことを思い出す。しかし今回は単調なだけだった。
雲は陸にはいってからもかわらない。前回タイきたときは雲はなく、メコン川がジャングルを複雑に蛇行している様子を機長がみせてくれたりした。また天候の加減で通常はありえないというたそがれのバンコク上空を旋回なんていうサービスもあったが、今回は着陸寸前まで雲のうえというつまらなさだった。
チェンマイ到着は本来なら現地時間14:50分のはずだが例の2時間おくれで入国審査をおえると外は真っ暗。当日は国王の誕生日ということで、もりあがっているとのこと。町をあげてのどんちゃんさわぎかと思いきや、なんと、ノンアルコール。レストランはおろかコンビニでもアルコールは売ってくれない、と現地ガイドのヤイさん。アジアといえば屋台だが、これもアルコールがだめということで休みのところがおおいという。
ホテルは繁華街にほど近いプラザホテル。予定では今日中に大会本部に出向き、IDカードの交付をうけたり、ドローやスケジュールの詳細等といったさまざまな情報を仕入れてくるはずだったが、飛行機の遅延でそれはキャンセル。とりあえず食事にでかけることにする。

チェンマイ アジア選手権取材行

001現地にパソコンを持ち込み、画像、動画を駆使した速報を、と計画。事前のemailによる大会委員会との打ち合わせも完璧と現地にのりこんだのだが・・・

最初からトラブル続きだった。
早朝の小田急線がまず強風のため、徐行運転。いらいらしていたが、ついに南新宿で全く動かなくなる。全線ストップ。しかし本車両だけはなんとか新宿駅へ。成田エキスプレスとの連絡は5分を切った。小田急と成田エキスプレスの乗り継ぎは広大な新宿駅の両端。絶望的、待ち合わして先についていたA氏のいらいらが携帯から伝わってくる。

ここで幸運が!
強風で線路に障害物が落ち、ホームが変更に!!当然電車は遅延。

しかし、助かったとおもうまもなく、成田エキスプレスは錦糸町付近でストップ。トタンが線路施設に引っ掛かり、電車は走行不能に。車内では情報が伝わらず、騒然。
しかも日本語でしかアナウンスがないので外人客が不安そうに状況を尋ねてくる。彼女たちは我々より早い便でグアムに向かうとのことだった。
例え電車が動いても次の駅までで、そこからはJRは代替運送(バスあるいは京成線)を検討しているとの情報が伝わってくる。しかし、なにも動きがない。
旅行社と連絡をとり、対策を講じるものの電車が動かないことにはどうしようもない。ときどきの車内放送からは絶望的な憶測が流れる。
ようやく動き出したのは40分もすぎたころだったろうか?これで隣駅までいき、そこで乗換となるとちょっと絶望的な感じである。旅行社からは深夜のバンコク便か、最悪、明日出発の可能性を伝えられる。しかし電車は順調にスピードをあげ、どうやら成田に向かうらしい。

もっと情報を!!頼みますよ。とにかくつかれた。
このままなら一時間ほどで成田につくとのこと。だったら九時前にはチェックイン可能。
以前台湾で離陸10分前に空港に滑り込んだことがある管理者は急に楽観的に。と思う間もなく、千葉駅を前に電車は超徐行運転。ダイヤがみだれ、千葉駅に入れないとのこと。
成田で待ち合わせる手はずになっているU氏とも連絡がつかない。
電車はなんとか動きだし、千葉駅を通過。旅行社のH氏から三たび電話。「まだ、そんなところですか」。
成田についたらチェックインをすぐにすまして、とにかく出国手続きを、との指示。

成田についたのは9時をすぎたころだったろうか。定刻より、1時間半遅れ。まあとりあえずはまにあったようだ。
出国ロビーではこの日同じ便で出発予定の高川選手と挨拶。チェックインカウンターではU氏が不安そうな顔で我々を待っていた。係員に急がされ、チェックイン。さらに出国手続きを、といそいでいると、飛行機遅延のアナウンスが。あとでわかったことだが、我々の便だけではない。空港はマヒ状態であり、大混乱していた。なぜそういう情報をながしてくれないのか?どっと疲れがでた。当地で前日まで合宿をおこなっていた若梅女子コーチは、朝おきたとき発着の騒音が全然していなかったので絶対おくれると思った、と話してくれた。

結局、チェンマイ行きの我々の便は2時間以上遅延。空港ではなにもすることがない。選手も手持ち無沙汰。渡邉監督は静かに読書。
我々は北本監督らから現地の情報を聞いたりして早速の情報収集。コートの様子や、当地が高地であり、若干ボールが飛び気味だが、蔵王ほどではないなど。002

チェンマイまでは7時間のフライト。比較的すいていて私はすぐに窓際に移動。ちなみに同便には死んだはず?の新選組(!)新見錦(俳優相島一之氏)が。チェンマイでロケのようだ。続く-->

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