2004 アジア選手権関連

アジア競技大会韓国代表その2

ダブルス予選優勝の魏休換(釜山市庁)。昨年までは達城郡庁に所属していた。Ui

ダブルフォワードの研究

0565「ダブルフォワードがハードを制す?」の第三回をアップ(クリック)。今大会で台湾、韓国がとった新しい戦術とはどのようなものあだったかについて、具体的に迫りたい。それにしても具体的にかくことは難しいものだ。今回は結局、ひどく抽象的なものになってしまった気がする。次回以降では図なども入れる予定。

イラストレイテッド CHIANGMAI2004シリーズ

ながらく更新していなかったフォトコラム--イラストレイテッド--を再開。再開第一弾はアジア選手権シリーズで。1998年のバンコクアジア五輪ではコントラストの強いいい写真がとれたので、今回も期待したのだが、どういうわけか、いまひとつに終わった。どうも露出を間違えたか?真相は謎だが、南国のムードがもう一つ伝わらないのがもどかしい。。。

ピン川のコムロイとばし ----アジア選手権取材行4

PC050055リバーサイドは非常に洗練されたレストランである。欧米人が目立つがタイ人もいる。日本人は意外にすくないような気がしたが、なにぶん広くて暗い店内でよくわからない。洗練されている、といってもそこは南国であり、天井にはなんとトカゲがいた!店内はかなりのにぎわいなのだが低い天井を平気でゆっくりと移動し、時にたたずんでいる。天井付近にくる小昆虫でもあさっているのだろうか?客たちは知ってか知らずかみんな平気である。
ノンアルコールとつかれも手伝って、今ひとつもりあがりにかけたディナーもおわり、ホテルまで帰ることになったが、来た道をそのままもどるのもつまらないので、さらに先の橋まですすみ、ピン川をわたって名物のナイトバサールを歩いて帰ろうということになる。

PC050057「リバーサイド」をでて少し歩くと、路地のむこうに歩行者専用の橋がみえたのでそこを使うことにする。
 橋は散策するひとがちらほら。と、橋の半ばに若い男女の集団が何事か作業をしている。真っ白い布袋のようなものをひろげているのだ。われわれもいそいでいるわけでもないので、暇人よろしくその様子を眺めることにする。
 彼ら彼女らは男女半々で8人くらいいただろうか。その袋をひろげおわると、今度は火を炊きだした。好奇心旺盛で我々の仲間で唯一人英語の堪能なA氏がたまらず彼らに何事か取材、どうもそのふくろに熱風を吹き込み空高く飛ばすということをこころみているらしい、彼らはチェンマイの大学生らしい、という2点がわかった。
 これがあの有名なコムロイ飛ばしか、と合点がいった、というのは嘘で、これは帰国してから知ったことで、その時はなにを酔狂な、と思っただけであった。その帰国後の調査?によるとそのコムロイとばしは当局より空港近辺(15キロ以内だったとおもう)自粛命令(禁止ではない)がでてたとのことでおどろいた。高くまいあがったコムロイが飛行機のエンジンにまきこまれて墜落の危険があるとのことでなんともおそろしい話なのである。実際そういうこと(飛行機事故)があったかどうかはさだかでないが、コムロイが地上に火がついたままおちて民家が全焼とか、ある小型機が飛行中に遭遇したコムロイは一軒家ほどの大きさがあって、空中で、よけるのに難儀した、なんて話がネット上にある。この地点からチェンマイ国際空港まではせいぜい5キロぐらい...........................
PC050060 結果的に彼らはコムロイ飛ばしになれていないのか、それとも非常に難しいものなのか、さだかではないが、コムロイは高く舞い上がることなく、川におち、流れていった。それでも彼らはそれほど落胆するでもなし、ひとしきりもりあがって、我々と一緒に写真とったりして、そのままわかれた。

 ナイトバザールはひとひとひとの大混雑。しかも白人がめちゃくちゃにおおい。あとでタイ人の大学生にきいたところによると、地元の人はまず行かないという観光客むけの市とのことで、それなりに楽しいものの、ちょっとつまらない。ただわれわれも非常につかれていたので楽しむ余裕がなかったのもたしか。A氏もつかれているはずだが、ナイトバザール半ばの雑貨店で格安のミネラルウォーターをみつけ、一ダースを買い込む。それはよかったが、ホテルまでの長い混雑した道を重い水とともに進むことになった。
 ホテルにもどると、よせばいいのにチェンマイに先乗りしていた某メーカーのB氏の部屋で2次会。ホテル内はアルコールOKといことでようやくビールにありつく。そのまま深夜まで。まあいいか。まだ大会ははじまってもいない。。。。

アジア選手権テレビ放映について

liu2ガオラによるアジア選手権の男子決勝の放映について細かいことだが気になった点を。
林舜武と趙士城が16才となっているのは大会プログラムの誤記であり、実際はそれぞれ22才,23才であることはすでにこのブログで書いた。

 それ以外では、台湾のトップにでた李佳鴻(LI Chia-Hung)・劉家綸(LIU Chia-Lun)のペアについて劉家綸を「後衛」だと紹介していたが、劉家綸は本来前衛である。李佳鴻も前衛、つまりこのペアはネットプレイヤー二人(いわゆる「前衛」二人)によるダブルフォワードである。

3番にでた王俊彦(WANG Chun-Yen)・趙士城(CHAO Shin-Cheng)は王俊彦が本来はベースラインタイプ、趙士城はネットマンである。
こちらはいわゆる「後衛」と「前衛」によるダブルフォワードである。

 もっともここにあげた全員、とくに王俊彦、劉家綸、李佳鴻はオールラウンダーであり、「後衛」、「前衛」というカテゴライズは今後意味を持たなくなるかもしれない。

 韓国の一番にでた金裁福(KIM Jae-Bok)・朴昌石(PARK Chang-Suk)、金は本来後衛、朴は前衛。
3番の黄晶煥(HWANG Jeong-Hwan)・金煕洙(KIM Hee-Soo)については説明するまでもないが黄が後衛、金が前衛である。この黄晶煥・金煕洙もダブルフォワード戦術をとったかのような説明もあったが、実際には、このペアはほとんどが雁行陣で戦っている。ネットプレーの得意な黄晶煥なのでダブルフォワード的な戦い方をするのでは、と予想していたのだが、以前よりもっとオーソドックスな戦い方をしたのは意外だった。

ちなみにシングルスにでた林舜武(LIN Shun-Wu)は後衛、方峻煥はいうまでもなく前衛である。

 放映は1時間という限られた時間だからしょうがないのかもしれないが、数回にわけてでもいいからノーカットでやってほしかった。あれだけカットされるとわけがわからないし、非常に危険である。我々が現地で実際にみてきたものとは完全に別物になっているかんじさえする。残念である。
画像は日本戦での劉家綸

どうする?日本 ダブルフォワードがハードを制す?PART2

topbanアジア選手権観戦記「ダブルフォワードがハードを制す?」(クリック)の第2弾をアップ。
当初、2回目は台湾のことをかくつもりだったが、予定変更し、国別対抗準決勝日本vs.台湾のことが中心になっている。
書くために今大会だけでなく、過去のビデオもさんざんみた。
みればみるほど、ある意味、わからなくなってしまい、観戦記は渾沌としたものになっていく。
いいたいこと、伝えたいことがあるのにうまく書けない。
非常にもどかしい。次回はどうなるか?

コートコンデション アジア選手権雑考

02第5回アジア選手権の会場となったチェンマイの700th Aniversary of Chiang Mai Sports Complexは巨大な陸上競技場にプール、射撃場、体育館三つ、他の広大な面積があり、そのなかにはホテルもある。
テニスコートは計12面でうちセンターコートが一面。
見た目はなかなか立派なのだが、残念ながらコンデションはよくなかった。
メンテナンスができていないのである。
何ケ所も表面がくぼんでいるにもかかわらず、修復がされていなかったし、雨のおおい国だからしょうがないのかもしれないが、表面もかなりよごれていた。
大会直前までコート周辺の花壇等を修復していたが、それをやるならコートをみがいてほしかった。
塗り直すことは無理でもみがくくことぐらいはできたのではないか。
またこのコートはよく滑った。
ハードコートですべる、ということ自体が信じられないが、それほど状態が悪かったのである。
 観戦環境もよくなかった。センターコートは問題ないが、他のコートで観客席(コートサイド片側のみ)があるのは一面だけであり、他はない。
センターコートも使用するのは決勝だけであり宝の持ち腐れである(なぜかミックスの決勝だけはアザ−コートだった)。
観客などいないのでは、とおもわれるかもしれないが、日本、韓国、台湾から決してすくなくない応援がかけつけていた。
ソフトテニス界はセンターコートの使いかたが下手だが、まさかチェンマイでも、というのはショックだった。
1998のバンコクアジア五輪では(センターコートを)うまくつかっていたのだが・・・
他のコートは基本的にコート後ろの植え込みの間からネットごしにみなければならない。
もともとそのバックネットもあつい防風ネットでおおわれていたのだが、それは大会直前にまきあげられた。がこれでは選手がたまったものではなかったろう。そのネットは当然、バックスクリーンの役目もはたしているし、むしろそちらのほうが重要な役目だからだ。もとにもどしてくれ、と抗議した(当然だ)国もあったそうだが受け入れられなかったようだ。
余談だが、近年日本ではボールを視認しやすいように配慮したコートが減ってきている。残念なことだ。
昨年の広島での世界選手権は好ゲームが相次いだが、会場となった広島市中央コートはボールの視認性の高いコート(バックフェンスが高い)であり、決してそのこととは無関係ではないだろう。

巻き上げてくれたことでとりあえずギャラリー達はどのコートでも最低の観戦環境は確保できたわけだが、これでいいのか、と複雑である。
コート12面がフル稼動ということはほとんどなかったのでうち2面でもつぶして観戦のためのスペースを、できれば仮設スタンドをいれればベストだった。
 運営面は比較的スムーズだったが、事前に発表されたスケジュールとは随分ちがっていて、面喰らった。
プログラムがすりあがってきたのはたしか大会前日で、そこに発表されたタイムテーブルが基本になった。
そのまえに発表されていたスケジュールは一体なんだったのかよくわからないが。
プログラム通りといってもコート変更はしょっちゅうであり、これにはまいった。
まあこれは毎度なのでなれているといえばそうだが・・・
 ただ4日間で7種目というのはいくらなんでもタイトすぎる日程だとおもう。
2003年の世界選手権よりはエントリーがすくないのでまだましだったが。
これだけの種目をこなすなら、せめて5日、できれば6日にしてほしい。
ちなみに前回佐賀大会では6種目で5日である。

台湾男子に高校生?

lin台湾男子に16才の高校生がいるのですか?というメールがきた。なんのことかと思ったら、ガオラの放映で趙士城と林舜武が16才と紹介されたらしい。実際は趙士城は1982年生まれの23才の学生。林舜武も台湾体育学院(大学)の4年生で現在22才。いったいなんでこんなことになったのか。その原因は大会のパンフレットにあった。そこでは林舜武、林朝章、趙士城が1988年生まれと書いてあるのだ。まあこういう間違いはこの大会に限らずよくあるのだが、これだけ一国のなかでミスが集中したのは、しかも、それが台湾男子というもっとも重要なチームだったというのは不幸だったとしかいいようがない。
ちなみに劉家綸(1981生)、王俊彦(1980生)、李佳鴻(1983生)、林朝章(1982生)となっている(林朝章、劉家綸、李佳鴻は豊原高商出身、林朝章、劉家綸は同級、李佳鴻は一学年下)。最年長の王俊彦で25才。若いチームには違いないが、いままで何度もいっているように若返りを謀った(?)わけではない。
厳密な予選の結果、こうなったのである。
(画像は林舜武)

方峻煥の敗戦

toplogo00観戦記「方峻煥の敗戦」をココ(クリック)に.。
方峻煥の敗戦を記事にするのはこれで2回目。不思議な選手である。

チェンマイ取材行その3

食事のためにすぐに外出。中華にしようか、タイ料理にしようか、いろいろまよったが、ピン川沿いにあるメジャーなレストランを選択。地図でみると歩いてもたいしたことがなさそうなので歩くことに。ホテルをでるとすぐにタクシーが客引きによってくる、がバンコクほどしつこくはない。無視してひたすら歩く、歩く、が歩きにくいことこのうえない。台北もソウルもプサンも聞慶も歩きにくかったが、その比ではない。バンコクもそうだった。近年、バリア−フリーということがいわれるが、その思想からもっとも遠い。
DSCF0372一応、歩道はあったりする。しかしその歩道の上に電話ボックスが、どん、とおいてある。歩道は完全にふさがっていて、車道にでるしかない。車道も狭く、運転も乱暴、非常に危険、ああアジアにきたんだなあ、と嬉しくなる、と思ったら足の甲の上を車が通っていった。油断もすきもない。
 途中、食べ物の屋台もおおい。空腹には堪えられないいい匂いのなかをひたすら歩く。日本をでるまえにいやになるくらいみたチェンマイ市内図を頭に描きながら、ひたすら歩く。日本でみた地図はどういうわけか縮尺がばらばらでこまったが、どうも一番遠パターンが正解だったようで、やっとのことでピン川にかかるナワラート橋にでる。ここから目指すレストラン「リバーサイド」まではすぐだ。

DSCF0374チェンマイのガイドブックならどれでものっているレストランリバーサイドは混んでいた。川沿いに張り出したテラス席は満席、しばらく待ちになるという。屋内ならスグにOKというので、他へいく気力も体力もないのでそれで手をうつ。店内はタイ風というよりはなぜかウエスタン風。エキゾチックというよりはただの無国籍風。お客も雑多、さまざまな人種があふれている。メニューもイタリアンがメインにおかれている。そこには目もくれずタイ料理を探してなんとかオーダー。アルコールは御法度?なのでミネラルウォーターも。タイでのチャーハンのうまさは定評があるが、ここでも抜群。トムヤンクンにも6年振りの再会。やはりパクチーは苦手である。全体として、6年前のバンコクのような強烈さがない。ここだけかとおもったが滞在中ずうっとそうだった。私だけでなくやはり6年前アジア五輪のバンコク組のYさんやほかの人もそういっていた。ほっとしたというか、がっかりしたというか、一応こころしてきただけに、若干ものたりなく感じたのはたしかである。

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