2010韓国代表

韓国代表 女子編 2010アジア競技大会

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韓国女子の代表五人、四大国際大会の未経験者ゼロ。それどころか5人中4人が国際大会での優勝を経験。アジア五輪の優勝経験者も2人。世界チャンピオンが3人。というすごい戦力である。現在の韓国女子をざぁっと見渡してみても、ほぼ理想のメンバーが予選をぬけたと思う。もっとも台湾も日本も国際大会未経験者は一人ずつ(森原,朱芸萱)とそこだけはあまりかわらないが、優勝経験者となるとやはり一人ずつ(上原ーー2007アジア選手権ダブルス、江婉埼ーーー2006アジア五輪シングルス)だけとなってしまう。数字だけみれば圧倒的戦力差といえるだろう。 韓国女子はアジア競技大会で4連覇中。ソフトテニスがアジア競技大会の正式種目になったのは1994年の第12回大会(広島)だが、以降 1998年13回(バンコク)、2002年14回(釜山)、2006年15回(ドーハ)とすべてに団体優勝している。バンコクと釜山では完全優勝(団体、個人)。創始国日本、本家日本としてはまことに屈辱的なことであるし、層のうすいなか(ちまたでいわれているよりはずうっと厚いが、日本の厚さとは比較にならない)、着実に素晴らしい選手を育て上げてきた韓国に敬意を払いたい。
↓はドーハアジア競技大会団体戦 日本vs.韓国でのキムキョンレン。奇跡ともいえる逆転劇をみせ、3番につなぎ韓国団体3連覇を導いた。この画像は追い込まれたときのもの。ドーハ大会は男女とも重苦しい重厚なゲーム続きで観戦者も疲労困憊。Imgp8930

5人目の男 イヨハン アジア競技大会 韓国代表 男子3

Leeyohan2謎の男である。取材はシングルス予選がまだ半分も終わらないうちに切り上げたので、写真もない。右の写真は大韓庭球協会に送ってもらったものだ。プレーはみた(ような気がする)。ダブルスではネットプレイヤーであり、現在の韓国男子のシングルススタイルであるマッチョなそれではない(と思う)。おそらく軟投派のシングルス。所属はテグカソリック大学。同校は4年前のドーハアジア競技大会シングルス予選でも優勝(ナンテクホ)しており、2大会連続ということになる。同校の台頭は目覚ましい。2002年に創部以来、2004年にキムジェボク・パクチャンソクを代表に送り出すといきなりの個人タイトル(ダブルス)を獲得。以降、毎年のように代表に選手を送り出している。2007年には卒業したばかりのキムジェボクが世界選手権個人に完全優勝(ダブルス、シングルス)。そして2008年のキムドンフンの登場。私は必ずしもテグカソリック大学のテニスを全面的に賛美するものではないが、台湾体育学院とともにモダンソフトテニスに多大な影響を与えた事は間違いない。イヨハンはそんなテグが送り出した5人目の刺客である。

Imgp8112 ダブルスにおけるポジションがネットプレイヤーである選手がシングルス予選で勝つのはパンジュン(ムンギョン)以来で久々である。韓国にはキムドンフン、イウアナハク、ナンテクホ、キムジェボク、ホキョンジン、イスヨル等々シングルスの名手がひしめいている。彼らを押しのけて勝ち抜くことは至難である事は間違いない。ハードコートだからこそありえたことなのだろうか?(右画像はシングルス予選で次点(2位)だったイスヨル(タルソン)彼が決定戦にのこったと聞いたとき彼で決まりだとおもったものだが・・・)

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男子シングルス予選の開始式。そうそうたるメンバーが並ぶ。ここからリーグ戦で12人にしぼり、台湾式トーナメントによる最終戦がおこなわれる。

2010アジア競技大会 韓国代表 男子2 イヨン・チヨンミン

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第二ダブルス決定戦は先にも書いたように第一ダブルス決定戦敗者の11組による双敗淘汰制--ツーダウンスタイルノックアウトトーナメントで行われる。第一ダブルス決定戦以上に混迷し、誰が勝つかわからない状況に。結局全勝はなし、最終戦まで勝負はもつれた。また天候の不順、悪化でワンデートーナメントのはずが結局3日を費やすというタフマッチに。

Imgp0491 優勝はイヨン・チヨンミン、第一ダブルス決定戦に続くイチョン市庁のペアだ。イチョンは2005に2名(キムスンスブ・ヤントンフン) 2006年は0、2007年2名(キムスンスブ・ヤントンフン)、2008年1名(キムテジュン)、そして今回の4名と代表(団体戦メンバー)をおくりだしている。タルソン、ムンギョン、スンチョンと並ぶ韓国いや世界最強実業団いやプロ集団の一つだ。(右画像は2009大統領旗で団体優勝したときのイチョン市庁)

Imgp7565_2 イヨン・チヨンミンともに四大国際大会は初出場になる。これはとても意外なことで、特にイヨンはダブルス、シングルスともに韓国国内での上位の常連である。2007年にはキムテジュンとのペアで世界選手権最終予選で惜敗、結果キムテジュンのみワイルドカードで個人戦に出場ということもあった。

チヨンミンも若い頃から知られた選手。まだ公州大学の学生だった2002年アジア競技大会予選でチェボンコンとのペアで大暴れ、特に二次リーグでのあたりはすばらしく、最終六組に残り優勝するだろうといわれたものだ。四年後のドーハアジア競技大会予選でもファンジョンハンとのペアで最終6組に残り、アジア競技大会の予選は特に強い。なおこのペアで昨年の札幌国際大会に出場している。

このペアもダブルフォワード、しかしペ・キムほどの完成度はまだない。韓国2大会振りの優勝へのキーになるのはこのペアか?

                       
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大本命 ペウオンソン・キムテジュン 2010アジア競技大会 韓国代表 男子1

Imgp7885まず代表権を獲得したのはペウオンソン・キムテジュン、ともにイチョン市庁の所属。ペ(裵)はまだインカ大の下級生だった2005に東アジア競技大会(マカオ)に出場しており、代表入りはそのとき以来、2回目になる。2005年はシングルス予選を勝ちあがっての代表入りつまり5番目に代表となったが、今回は堂々トップで代表を決めた。しかも最終予選は全勝である。サウスポー。
Imgp7841 キムテジュンは2007アンソン世界選手権にワイルドカードで個人戦のみに出場。翌2008年には第二ダブルス決定戦に優勝(ペア イゾンウ)し、レギュラー(団体メンバー)として代表入り。今年で3大会連続の国際大会出場ということになる。アジア選手権では団体優勝。決勝ではイゾンウとのペアでクロザーをつとめ、菅野・柴田との重苦しい試合を制し、韓国男子に2002年釜山アジア五輪以来の団体優勝をもたらした。個人戦ダブルスでも3位。

このペアの今大会での強さは抜群であり、非常に完成度の高いダブルフォワードをみせてくれた。それはこれほど強いペアは最近みたことがない、といえるほどのものである。あれから半年以上過ぎ、さらに磨きがかかっているとすればちょっと恐ろしくなるほど。今年、韓国、台湾、日本と予選会をつぶさにみてきたなかで、間違いなくNO.1。大会大本命のペアと強く推しておく。(右画像は最終戦直後。最後の相手はテグカソリック大のキムドンフン・キムペムジュン)

                       
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韓国代表戦 2010アジア競技大会


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Imgp7351 2010年の韓国予選が開催されたのは韓国南部の小都市スンチャン。のどかな田園風景がひろがる片田舎だが、コチュジャンの町として内外のその名が轟いている(そうだ)。コチュジャン村なるアミューズメントもある。東京の桜が散り始めたころにおとずれたのだが、スンチャンではちょうど満開を迎えていた(右画像)。花見する人はすくなかったが哨戒艇撃沈事件の直後ということで自粛しているとのことだった。

 テニスコートは町外れの小高い丘のうえにあり、陸上競技場、体育館も併設されたスポーツコンプレックスだ。テニスコートは上の写真に見える以外にもあと数面。また室内クレーコートもある。テニスで町おこしという意向もあるそうで、すでにITFのトーナメントも誘致されているとか。Imgp7650 Imgp7641 Imgp7453_3 Imgp7452Imgp7361 スンチャンの市街地は小一時間もあれば徒歩でまわれるほどこじんまりとしているが、ご覧のようなおいしくて安い韓定食の店が点在している(日本円で一人前1000円弱)。

Imgp7892 Imgp7909Imgp7901

キムキョンレン2大会連続出場 アジア競技大会韓国代表女子 3

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Imgp7675 代表最後の枠はシングルスによって争われる。ダブルスではもうひとつピリッとしなかった韓国女子のエースキムキョンレン(安城市庁)が順当に勝ち上がった。もっともシングルス予選はスケジュールの関係で半日しか取材していなのでほとんどみていない。キムキョンレンは韓国女子ではただ一人前回ドーハ大会(2006)経験している。まだ10代だった2004年に初めて国家代表になり、以降足掛け7年6大会連続(チェンマイ、マカオ、ドーハ、アンソン、ムンギョン、広州)で代表入り。すべて予選をかちあがってものだからこれはたいへんな記録といえよう。個人タイトルは2007世界選手権ダブルス、2008アジア選手権シングルス、国別対抗では2006、2007、2008と3年連続の金メダル。ドーハではヨンドンと組みミックスで銀、2007世界選手権ではシングルス銀、ミックス銀、2008アジア選手権ダブルス銀、ミックス銀、と素晴らしいというしかない成績。また2004初登場以来、国際大会国別対抗戦の日本戦においてシングルスに5戦全勝という記録もある。日本にとっての大きな壁なのである。韓国を代表するというよりはソフトテニスを代表するような大選手である。技術的な完成度はとても高く現在、比類なき存在といえる。

                       
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パクスンジョン 1995世界チャンピオンが復活 アジア競技大会 韓国代表女子2

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Imgp8006 第二代表決定戦で優勝したクォンランヒ(左)・パクスンジョン(釜山沙下区庁・スゥオン市庁)。クォンランヒは2008アジア選手権にワイルドカードで個人戦のみ出場。シングルスで3位に。国際大会はそのとき以来2回連続2回目の出場、無論アジア五輪は初出場。2008年熊本インドア、2009年札幌国際大会に出場したことがある。エーキョンとはタイプが違うがやはり強打の選手。(右画像は出場決定直後のパク・クォン)

Imgp7477  パクスンジョンは以前農協中央会所属の選手。1995年に引退し、結婚、出産。つい先年、水原市庁の選手として第一線に復帰、現在38歳のいわゆるママさん選手だ。もちろんプロフェショナル。ママさん選手が代表になるのは2005年東アジア五輪代表になったキムヨンスク(安城市庁)の例があるが、パクスンジョンほどブランクがある例はちょっと記憶にない(ダテック並みのブランクといえる)。今大会男女を通じてもっとも話題性のある選手といえるだろう。なにせ、以前の成績が半端じゃない。彼女の農協中央会時代は韓国女子全盛期であり、国別対抗団体に6年連続で金メダルを獲得している。彼女はその時代の中心的前衛である。とくに1995広島アジア五輪、1996岐阜世界選手権と2年連続で日本開催だったビッグイベントでエース前衛として活躍、団体優勝だけでなく世界選手権ではダブルスでも優勝している。その時代から現役を続けている選手は日本にはもちろんいない。

                       
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現在無敵 キムエーキョン・チュオク 2010アジア競技大会 韓国代表 女子

Imgp7882第一ダブルス決定戦で優勝し、代表一番乗りを決めたキムエーキョン(左),チュオク。ともに農協中央会の所属。アジア競技大会の出場ははじめてだが、4大国際大会にはエーキョンは3大会連続3度目。チュオクは2大会連続の2回目。エーキョンは国際大会の予選を2回連続でトップ通過。世界選手権、アジア選手権ともに団体優勝。そのなかで無敗である。

Imgp7770 チュオクもアジア選手権団体優勝メンバー。韓国国内では現在無敵の強さになりつつある。エーキョンの強打とその威力は大会全出場選手中NO.1。女子のレベルを超えた破壊力を有す。まだ21歳である。チュオクはさらに一つ年少。長身の恵まれた体格であるが前衛としては現時点ではまだまだ平凡。ただヨンドン仕込み(左画像がユウヨンドンコーチ)の技術の高さがすばらしい。あとはそれをどう使うかだが、それが一番難しいことはいうまでもあるまい・・・(下記画像は代表決定後 韓国目メディアの取材を受けるキムエーキョン・チュオク)Imgp7890

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