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January 2005

全日本社会人学生対抗インドア

今回で38回を数える伝統のインドア。社会人と学生のトップを集め、それぞれチームをつくり、団体戦を戦うというユニークな大会。当初は殲滅戦だったが、現在は点取り戦。そのかわりに団体戦勝利チームによる個人戦が行われている。
団体戦は当然のように男女とも社会人。
男子は学生が3-1とリードしその後もファイナル2つ。盛り上がったのではないか。浅川・小峯、花田・川村の2組を倒したのは見事である。
個人戦はヨーロッパ遠征からかえってきたばかりの中堀・高川(NTT西日本広島)と玉泉・上嶋(東芝姫路)の日本のエースペアが優勝。玉泉・上嶋と渡邊・掘越の決勝は4-3。みたかった!!
愛知県連HPに詳細

また豊橋東応援サイトではここ数年間の詳細がみられる。

2005東京インドアその2

前回のつづき)
PPOがいかにして臨場感を獲得しているか。一番にはコートの閉鎖性?である。フロアには選手と審判、そしてボールパースンしかいない。コートには高くてダークなバックフェンスが立てられている。仮設スタンドもサイドとバックにそれぞれつくられ、コートぎりぎりまで観戦者に開放されている。東京インドアではバックフェンスこそあるもののひとまたぎで越えられほどの低いものである。アウトコートには大会役員とか関係者がたくさんいて、いそがしく動きまわっており、それは選手からも観客からも丸見えであり、著しく緊張感を欠く。集中のさまたげになる。それはプレーヤー、観戦者両方に悪影響をあたえている。裏方を見せる必要などないではないか。
 仮設スタンドが無理でもせめて高いバックフェンス(高いといっても人の身長ぐらいだ)をいれてほしい。これで全然違うはずである。そういえば旧東京体育館時代には仮設がコートサイドにはいっていた。やはりぜひこれも復活してほしい。
 PPOはティアワンというWTAツアーでの最高ランクの格付けであり、多額のお金をつかったプロ興行だから、東京インドアとの比較はフェアでないことは百も承知である。でもやれること、参考になることはあるのではないかとの思いからあえて比べている。
 同じく東京体育館で開催される硬式テニスの日本リーグ(入場無料-観客は極めて少ない)は仮設こそいれていないが、カーペットとこの(高い)バックフェンスをいれている。ダークなバックフェンスをいれることでボールの視認性が高くなり、選手の集中力がアップし、緊張感がまし、かならず、かならず、好試合が増える。また裏方を観客からマスクすることでギャラリーの集中力もアップし、これも間違いなくゲームのレベルアップにつながること疑いなしである。
 さらに提案、現在4面を使用しているが、これを2面にしたらどうか。4面展開は観戦者からすれば非常に気が散る。選手のエントリーを減らしてでも、実現してほしい。問題は中身だからである。旧東京体育館時代には2面の頃があったし、駒沢は2面だった。

 コートを2面にし、ボールパースンを配置し、サーフェースはカーペット、バックにはダーク色の背の高いフェンス、そのうしろには仮設スタンド。これぞ理想の姿!!まるで硬式テニスの会場だが、いいところはまねすべきである。

 ただPPOという大会はあまり好きでははない。毎年のように観戦にいっているが、会場に配置された係員の態度の横柄さといったら!!2度ときてやるものか、と毎年おもってしまう。彼らの態度が会場全体に影響しており、異常に空気が張り詰めていてほとんど堪え難いほどである。硬式テニスの会場は静かなものだが、あれは異常である。松岡修造も同様のことをいっていたし、複数の硬式関係者の指摘もある。選手の側からプレーやりにくいとの声もある。が、一向に改善されない。今年はいかないかもしれない。

さて次回はやっと今大会について書けそうである。

どうする?日本 ダブルフォワードがハードを制す?PART2

topbanアジア選手権観戦記「ダブルフォワードがハードを制す?」(クリック)の第2弾をアップ。
当初、2回目は台湾のことをかくつもりだったが、予定変更し、国別対抗準決勝日本vs.台湾のことが中心になっている。
書くために今大会だけでなく、過去のビデオもさんざんみた。
みればみるほど、ある意味、わからなくなってしまい、観戦記は渾沌としたものになっていく。
いいたいこと、伝えたいことがあるのにうまく書けない。
非常にもどかしい。次回はどうなるか?

コートコンデション アジア選手権雑考

02第5回アジア選手権の会場となったチェンマイの700th Aniversary of Chiang Mai Sports Complexは巨大な陸上競技場にプール、射撃場、体育館三つ、他の広大な面積があり、そのなかにはホテルもある。
テニスコートは計12面でうちセンターコートが一面。
見た目はなかなか立派なのだが、残念ながらコンデションはよくなかった。
メンテナンスができていないのである。
何ケ所も表面がくぼんでいるにもかかわらず、修復がされていなかったし、雨のおおい国だからしょうがないのかもしれないが、表面もかなりよごれていた。
大会直前までコート周辺の花壇等を修復していたが、それをやるならコートをみがいてほしかった。
塗り直すことは無理でもみがくくことぐらいはできたのではないか。
またこのコートはよく滑った。
ハードコートですべる、ということ自体が信じられないが、それほど状態が悪かったのである。
 観戦環境もよくなかった。センターコートは問題ないが、他のコートで観客席(コートサイド片側のみ)があるのは一面だけであり、他はない。
センターコートも使用するのは決勝だけであり宝の持ち腐れである(なぜかミックスの決勝だけはアザ−コートだった)。
観客などいないのでは、とおもわれるかもしれないが、日本、韓国、台湾から決してすくなくない応援がかけつけていた。
ソフトテニス界はセンターコートの使いかたが下手だが、まさかチェンマイでも、というのはショックだった。
1998のバンコクアジア五輪では(センターコートを)うまくつかっていたのだが・・・
他のコートは基本的にコート後ろの植え込みの間からネットごしにみなければならない。
もともとそのバックネットもあつい防風ネットでおおわれていたのだが、それは大会直前にまきあげられた。がこれでは選手がたまったものではなかったろう。そのネットは当然、バックスクリーンの役目もはたしているし、むしろそちらのほうが重要な役目だからだ。もとにもどしてくれ、と抗議した(当然だ)国もあったそうだが受け入れられなかったようだ。
余談だが、近年日本ではボールを視認しやすいように配慮したコートが減ってきている。残念なことだ。
昨年の広島での世界選手権は好ゲームが相次いだが、会場となった広島市中央コートはボールの視認性の高いコート(バックフェンスが高い)であり、決してそのこととは無関係ではないだろう。

巻き上げてくれたことでとりあえずギャラリー達はどのコートでも最低の観戦環境は確保できたわけだが、これでいいのか、と複雑である。
コート12面がフル稼動ということはほとんどなかったのでうち2面でもつぶして観戦のためのスペースを、できれば仮設スタンドをいれればベストだった。
 運営面は比較的スムーズだったが、事前に発表されたスケジュールとは随分ちがっていて、面喰らった。
プログラムがすりあがってきたのはたしか大会前日で、そこに発表されたタイムテーブルが基本になった。
そのまえに発表されていたスケジュールは一体なんだったのかよくわからないが。
プログラム通りといってもコート変更はしょっちゅうであり、これにはまいった。
まあこれは毎度なのでなれているといえばそうだが・・・
 ただ4日間で7種目というのはいくらなんでもタイトすぎる日程だとおもう。
2003年の世界選手権よりはエントリーがすくないのでまだましだったが。
これだけの種目をこなすなら、せめて5日、できれば6日にしてほしい。
ちなみに前回佐賀大会では6種目で5日である。

春の高校選抜

大会結果掲示板につぎつぎ各地区の予選結果が投稿されている。また豊橋東応援サイトには選抜関連の情報が集約。

台湾男子に高校生?

lin台湾男子に16才の高校生がいるのですか?というメールがきた。なんのことかと思ったら、ガオラの放映で趙士城と林舜武が16才と紹介されたらしい。実際は趙士城は1982年生まれの23才の学生。林舜武も台湾体育学院(大学)の4年生で現在22才。いったいなんでこんなことになったのか。その原因は大会のパンフレットにあった。そこでは林舜武、林朝章、趙士城が1988年生まれと書いてあるのだ。まあこういう間違いはこの大会に限らずよくあるのだが、これだけ一国のなかでミスが集中したのは、しかも、それが台湾男子というもっとも重要なチームだったというのは不幸だったとしかいいようがない。
ちなみに劉家綸(1981生)、王俊彦(1980生)、李佳鴻(1983生)、林朝章(1982生)となっている(林朝章、劉家綸、李佳鴻は豊原高商出身、林朝章、劉家綸は同級、李佳鴻は一学年下)。最年長の王俊彦で25才。若いチームには違いないが、いままで何度もいっているように若返りを謀った(?)わけではない。
厳密な予選の結果、こうなったのである。
(画像は林舜武)

2005東京インドア

 東京インドアはもっとも観客のおおいソフトテニス大会である。これは今も昔もかわらない。昔はもっと多かった。古い雑誌(月刊軟式テニス、現在のソフトテニスマガジン)をみると、8000とか9000人なんて数字が書かれている。旧東京体育館の時代である。そのころソフトテニスはメジャースポーツでマスコミにも煩雑に登場していた、なんてことはいっさいなくて、今とかわらない。いや現在はテレビがあるので、むしろ昔のほうが悪いかもしれない。
 旧東京体育館は現在のよりすこしせまかったが、その分臨場感があった。ボールの音もインドアらしくよく響いた。ただ、冷暖房はなく、死ぬほど寒くて、毛布持参の人も多かった。その旧東京体育館最後の東京インドアで優勝したのは神崎・濱田組であり、当時のインカレチャンピオン。神崎選手はまだ2年生だった。1985年のことである。
 その前年の1984年大会は木口・横江が最後に優勝した年になる。決勝の杉本・佐藤戦のファイナルでの横江さんの三連続ポイントは忘れ難いスーパープレーだ。超満員の東京体育館がどよめきそして静まりかえった。あの異様な雰囲気はあれぎり、東京インドアでは、感じたことがない。木口・横江は最多の5回優勝。
 もうひと組5回優勝を達成した北本・斉藤が登場するのは1990年のことで、その年、たしか東京インドア初出場だった彼らは当時の天皇杯チャンピオン神崎・小野寺、そしてベテラン木口・木谷と同ブロックだったが(神崎・小野寺vs.木口・木谷も忘れ難いゲーム)、突破。そのまま優勝してしまう。北本選手は当時3年生、斉藤選手は4年生。北本・斉藤はその数カ月後におこなわれた北京アジア五輪国内予選を勝ち抜き初めて日本代表に。以後、ほぼ10年にわたり、代表をつとめることになる。そのころの東京インドアは新東京体育館建設中ということで駒沢体育館で開催されていた。東京オリンピックの施設だった同館は、これがまた凄い体育館で、なぜかハトがとんでたりする(現在は新しく建て直されている)。アクセスもあまりよくなかった。ただ狭いので臨場感は抜群。キャパは小さいが身の丈にあってたような気もする。

 新しい東京体育館は旧体育館や駒沢と違ってフローリング、つまり木床になった。このサーフェ−スはイレギュラーがおおい。イレギュラーがおおいとプレイヤーは集中が難しい。新館になっていいゲームがすくないのはここに大きな原因があるのではないか?新館に移ってすぐはカーペットを敷いていた(東京体育館所有のカーペットコート)。そこでは上松・大橋vs.北本・斉藤という大試合があった。見栄えという点からでもカーペットを敷くのがのぞましいし、ボールも実際に見やすい。四月の女子選抜では敷いている。ぜひ東京インドアでも早期に実現してほしいものだ。

 旧館や駒沢では臨場感があったと書いた。新館にはそれがない。体育館がおおきすぎるのか?それもあると思う。インドア特有の打球音の増幅もあまりない。でもそれだけではない。東京体育館で同じ1月に開催されるPPO(東レパンパシフィックオープン)などは見事な臨場感を獲得している。こころみに東京インドアを観戦されたかたはPPOにも足をはこんでみられるとよい。本大会は入場料をとられるが直前の予選なら無料である。予選といってもPPOはティアワンであり、しかも本戦のエントリー数が絞られているので、カットオフがめちゃくちゃに高く見ごたえがある。2,3年まえにはあのミスキナを予選でみたことがある。当時ランキング急上昇中だった。(続く・・・

エディのサービス

方峻煥を破ったインドネシアのエデイのサービス動画をココに。小柄ゆえの合理的なフォームはお手本としては最適。

The Art of Soft tennis

技術的な質問が相変わらずおおいので(とくに若い諸君から)それに応えるかたちで「ソフトテニスの技法」のページを改良した。これはいままで提供してきた記事から技術論的なものや技術解説をあつめてきたものである。連続写真や動画もある。初級者には難しいと思われる部分もあるかもしれないが、辛抱してみてください。かならずお役にたつはずです。またどこにでもある情報ではない、と自負しています。この「ソフトテニスの技法」の充実が本年の課題です。御期待ください。

方峻煥の敗戦

toplogo00観戦記「方峻煥の敗戦」をココ(クリック)に.。
方峻煥の敗戦を記事にするのはこれで2回目。不思議な選手である。

チェンマイ取材行その3

食事のためにすぐに外出。中華にしようか、タイ料理にしようか、いろいろまよったが、ピン川沿いにあるメジャーなレストランを選択。地図でみると歩いてもたいしたことがなさそうなので歩くことに。ホテルをでるとすぐにタクシーが客引きによってくる、がバンコクほどしつこくはない。無視してひたすら歩く、歩く、が歩きにくいことこのうえない。台北もソウルもプサンも聞慶も歩きにくかったが、その比ではない。バンコクもそうだった。近年、バリア−フリーということがいわれるが、その思想からもっとも遠い。
DSCF0372一応、歩道はあったりする。しかしその歩道の上に電話ボックスが、どん、とおいてある。歩道は完全にふさがっていて、車道にでるしかない。車道も狭く、運転も乱暴、非常に危険、ああアジアにきたんだなあ、と嬉しくなる、と思ったら足の甲の上を車が通っていった。油断もすきもない。
 途中、食べ物の屋台もおおい。空腹には堪えられないいい匂いのなかをひたすら歩く。日本をでるまえにいやになるくらいみたチェンマイ市内図を頭に描きながら、ひたすら歩く。日本でみた地図はどういうわけか縮尺がばらばらでこまったが、どうも一番遠パターンが正解だったようで、やっとのことでピン川にかかるナワラート橋にでる。ここから目指すレストラン「リバーサイド」まではすぐだ。

DSCF0374チェンマイのガイドブックならどれでものっているレストランリバーサイドは混んでいた。川沿いに張り出したテラス席は満席、しばらく待ちになるという。屋内ならスグにOKというので、他へいく気力も体力もないのでそれで手をうつ。店内はタイ風というよりはなぜかウエスタン風。エキゾチックというよりはただの無国籍風。お客も雑多、さまざまな人種があふれている。メニューもイタリアンがメインにおかれている。そこには目もくれずタイ料理を探してなんとかオーダー。アルコールは御法度?なのでミネラルウォーターも。タイでのチャーハンのうまさは定評があるが、ここでも抜群。トムヤンクンにも6年振りの再会。やはりパクチーは苦手である。全体として、6年前のバンコクのような強烈さがない。ここだけかとおもったが滞在中ずうっとそうだった。私だけでなくやはり6年前アジア五輪のバンコク組のYさんやほかの人もそういっていた。ほっとしたというか、がっかりしたというか、一応こころしてきただけに、若干ものたりなく感じたのはたしかである。

中堀・高川、玉泉・上嶋 欧州遠征

gu中堀・高川(NTT西日本広島)、玉泉・上嶋(東芝姫路)という日本を代表する選手が東芝姫路の金治監督とともにソフトテニス普及活動のために欧州に遠征する。ヨーロッパでのソフトテニスの普及はソフトテニス界の悲願であるオリンピック参加へのもっとも重要なキーであり、この遠征が成功することをこころから願うものである。16日に日本をでてオーストリア、ハンガリー、フランス等をまわる予定。画像はアジア選手権での玉泉・上嶋

小峯、濱田選手結婚式part2

01AST特派員T君のフォトレポートをココに(クリック)

東京インドア

東京インドアの全対戦結果をここに(クリック)。男女ともアジア選手権代表が決勝に進出。河野・濱中が4試合で失Gなんとゼロ。この高いレベルではにわかに信じ難い結果、快挙。レヴューをたぶんここで公開予定。

東京インドアプレヴュー

PC070084日本男子はアジア選手権で台湾の異質なテニスに破れた。今後日本はどうなるのか?どうするのか?途方にくれるほどの衝撃であった。アジア選手権にでた選手が今回全員出場するわけだが、なんらかの対策というか指針が今大会で示されるはずである。つまり、アジア選手権の影響が色濃くでるはずであり、それが今回の大きな見所である。誰が勝つかなんてそれにくらべればあまり重要ではない。どんなテニスをするか、その一点に注目したい。日本代表として大会(アジア選手権)に出た以上、そうする責任のようなものがあるのではないか、と思う。期待したい。いままでと何もかわらないとしたら、あまりに救いがないし、そんなことはないと信じたい。たしかにアジア選手権からまだ日が浅い。しかし時間はあまりのこされていないのである。

東京インドア 1月9日 東京体育館(JR総武線 千駄ヶ谷駅下車1分)

熊本インドア招待選手

2月13日に熊本県立体育館で開催される熊本インドアの招待予定選手。相変わらずの豪華な顔ぶれだ。地元の平山選手も出場予定。

浅川・小峯、花田・川村、園田・毛利、的場・尾木
河野・濱中、玉泉・上嶋、渡辺・平田、佐藤・緒方

宮崎インドアに韓国選手が参戦

miyazakiインドアシーズン真っ盛りである。インドアといえばまず全日本(大阪)インドア。そして東京インドアがメジャーだが、地方にも素晴らしいインドアがたくさんある。毎年海外から選手を招待している札幌はその最たるもの。この大会などはローカルインドアと呼んでは失礼だろう(7Gが惜しいが)。
九州にもいい大会がおおい。熊本インドアは国際化こそ果たしていないが、毎年地上波でのテレビ中継を実現している。そして今回の宮崎インドアである。韓国から男子一組を招待。最近めきめき頭角をあらわしてきた感のある陰城郡庁から申潤洙(シン・ユウンスウ)・洪杜勲(ホン・ヂャンフン)のペアが出場する。
 申潤洙は昨年、金煕洙とペアを組み、九州オープンに出場。慣れない砂入り人工芝にくるしみながらも2位なっている。その時のビデオをみたが、フットワークをあわせるのが精一杯という感じでもうひとつ実力ははかれない。洪杜勲はちょっと記憶にない。来年以降も招待が継続されれば素晴らしい。
日本からは浅川・小峯、花田・川村らの超一流が出場。
詳細は宮崎県連HPをどうぞ。画像は申潤洙。

『牙』クライマックスへ

yang2遅れに遅れた『牙』の第6回をここに(クリック)。11月下旬にアップ予定がここまでおくれてしまった。原稿はその時点でほぼ完成していたのだが、さまざまなトラブルがかさなり編集と手直しに時間がかかってしまった。内容が内容だけになんとしてもアジア選手権の前にアップしたかったのだが・・・今回の連載のクライマックスといっていい内容で、かなりの長尺になっている。一回での掲載はちょっともったいなかったかもしれない。じっくり読んでください。参考資料として林朝章のカットサーブと揚勝發のフォアハンドの連続写真を添えた。揚勝發はコマ数があらすぎて意味ないかもしれないが、個性的でしかも美しいフォームであることはお分かりいただけると思う。このブログではその画像から作成したアニメーションを添付しておく。

ダブルフォワード

PC090105現在、観戦記の続きを書いている。次ぎは方峻煥、その次は台湾についてのことになる予定だ。
観戦記の第一回で「今大会はダブルフォワード対雁行陣」という図式だった、と書いた。ちょっと誤解をうみそうで気になったので、補足しておく。日本男子は今回、国別対抗で台湾に敗れた。お家芸であるはずのダブルスを2点落としてだ。そのダブルスでは台湾は2組ともダブルフォワードだった。でもダブルフォワードに敗れたという言い方は正確ではないのではないか。なにを今更、という感じになる。単純に日本は台湾に敗れた、のである。つまり台湾がそういう戦法をつかってくることは予測がついたからである。それが台湾のテニスなのだ。台湾にとってもとくに目新しいテニスでもない。ずうっと以前からこの戦法があるし、それが昨年の王・趙の成功とルール変更、そしてサーフェースという条件がかさなって強調されたにすぎない。今後のこの戦法が主流になる、という声も当然あるが、そう単純でもない。サーフェースが特殊であることを考慮しなければならないからだ。そこのところがサーフェース問題に疎い日本のソフトテニス界では抜け落ちそうである。ハードコートに限っていえば、しばらくはこの戦法が強いと思う。その先はまったくわからない。
今回にしたって現地で生でみたひとはわかるはずだが、単純にネット平行陣を台湾がひいたわけではない。その戦法をささえたのは超絶的なサーブ力、リターン力である。そこは絶対に見逃してはならない。サーブ力、リターン力で台湾は韓国、日本を遥かに上回っていたのである。ここは、絶対に、なんどもいうが、絶対に、見落としてはならない。サーブ力に関してはファーストだけではない。セカンドサーブの質がとんでもない。サーブ力とは結局セカンドサーブの力だ、というのは硬式テニスのトッププロを語るときによくでてくる言葉だ。例えばサンプラスが史上最強のセカンドサーブをもっていたのは有名である。ソフトテニスではセカンドサーブについてそういう風な語られかたをされたことはほとんどない。今回、台湾男子がみせたセカンドサーブは世界一どころか史上最高というレベルのセカンドであり、2003年の世界選手権、そして今回と台湾男子が提示した数々の新しい課題?のなかでは、地味ではあるがもっとも重要なことであると考える。(画像は男子国別対抗での劉家倫・李佳鴻(台湾))

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